HOME ≫ 鈴木三河屋の想い


日本酒、本格焼酎、ワイン…。
世界には、沢山の種類のお酒があります。
しかし、その中で巡り会えるお酒はほんの僅かです。
私たちは販売のプロとして、「美味しかった」の感動を伝える努力を惜しみません。
お酒の感動を伝えることのできる店を目指しています。


味の感じ方はお客様によって千差万別。
たとえば辛口ひとつをとってもぴりぴりする辛口、酸味のある辛口、水のようにすっきりした辛口、
ノド越しの良い辛口など、いろいろなタイプがあります。
「美味しかった」のご感想をいただけるまで、お客様のご要望をお伺いいたします。


弊社は、口コミを大切にしています。
広告は、大企業にはできても我々小規模の店にはできません。
「口コミ」こそが消費者の厳しい評価の表れと思っています。
三河屋のことが口コミで世界中に広がるよう努力を重ねます。


とかく、売り手の都合で販売をしてしまう業界です。
私たちは、お客様の目線でお話のできる店になりたいと思っています。
初心を忘れず、お客様の立場に立って商品をお渡しできるよう努力いたします。


商品により入荷数量が違うため、全商品を同じ販売方法にすることはできませんが、できる限り公平な販売に努めています。
たとえ限定品であっても、どのようにしたら購入できるか説明のできる売り方を心がけます。

初心者を応援いたします。

商品酒をほとんどお召し上がりになったことのないお客様や、美味しいお酒を飲んだことのない初心者のお客様に、親身になってお酒の素晴らしさや美味しさを伝えます。


お酒は、美味しく、楽しく、適量を嗜むものと思っています。
お召し上がりになる場面はいろいろかと思いますが、
その場面において弊社のお酒が皆様の心の橋渡しになれればと心より願っています。

先祖の想い

明治5年、静岡県西部を流れる天竜川が大氾濫して、大変な被害が出ました。天竜川に程近い、当時の静岡県浜名郡蒲村(現在の浜松市)で染め物屋を営んでいた鈴木増次郎は、将来を考え、息子の勘十を東京に出すことを心に決めました。初代勘十は、尋常小学校を卒業した明治15~16年頃、親戚を尋ね、東京までの道のりを一週間かけて歩き(まだ東海道線も開通していない時代でした)、東京都麹町区隼町(現在の千代田区)、「三河屋」磯貝氏に丁稚奉公に入りました。

その当時の「三河屋」は、各宮家に御用達をしていたようで、かなりの商いのある店であったようです。その後、初代勘十は、明治27、28年の日清戦争に出征し、その後復員。元の店でお礼奉公をしました。そして明治31年2月、暖簾分けで東京都赤坂区溜池町(現在の港区赤坂2丁目3番地)に、念願の酒屋「三河屋勘十商店」を開業。その後、勘十の子供 賢三が、二代目勘十を襲名し、家業を継ぎました。

その当時の店は、逓信省(後の郵政省)の指定業者となり、商いを広げていきましたが、その間には関東大震災と東京大空襲に遭い、大変な時期もありました。その二代目勘十の次男清は、学校卒業後「三河屋勘十商店」で修行を重ね、昭和33年2月東京都港区赤坂福吉町1番地(現在地)で念願の「三河屋鈴木清商店」を創業。昭和41年には法人組織となり、現在の「株式会社 鈴木三河屋」となりました。
私たちは、これからも先祖の想いを伝えるべく更なる進歩を目指します。

先代の教え

先代はお酒を飲むのが好きで、毎晩楽しく飲んでいました。「酒に酔うのは良いが、酒に酔わされるのは言語道断」といつも戒めていました。また、「盃に酒を残すな」と常々話していました。造り手の真心のこもったお酒を残すとはもったいないこと。「飲めないなら注ぐな」が口癖でした。

住所 東京都港区赤坂2丁目18番5号
FAX 03-3588-1188
【営業時間】
月火木金 15:00~19:00
 土  12:00~17:00
 日  12:00~17:00
水・祝日 店休日

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