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大切なお客様へ

*** 閉店のお知らせ ***

この度、店舗立ち退きの理由により、
令和6年7月30日(火)をもちましてやむを得ず
鈴木三河屋を閉店することとなりました。

これまで長きにわたるご支援に心より
感謝申し上げますと共に
ご迷惑をおかけしますことを
深くお詫び申し上げます。

今から66年前、昭和33年2月(1958)父と母が
現在地で「三河屋鈴木清商店」を開業。

当時はサザエさんの漫画に出てくるような
午前中は御用聞き、午後に配達の一般的な
酒屋でした。

バブルの頃はスタッフが20人程の大所帯で
ウイスキーやブランデーを大量に販売する
業務店でした。

バブルが弾け、酒屋の原点に立ち返るべく
日本酒の専門店に業態の方向変換を行いました。

当初は蔵元へ訪問しても取引が叶わず
やっとの思いで仕入れても、そのお酒が売れず
地下の貯蔵庫が日本酒で一杯になった時がありました。

その後、多くの蔵元、美味しい日本酒と本格焼酎に巡り合い、
お酒を通じて沢山のお客様とのご縁ができました。
心より深く感謝申し上げます。

これから恩返しと思っていた矢先に
このようなことになり、本当に申し訳ございません。

閉店の最終日まで、家内と共に
「心に残る酒屋」になれるよう
いつもの笑顔を絶やさず、頑張ってまいります。

長い間、本当に有難うございました。

米と水

「清らかな水が米を育み、酒の一滴へと凝縮する」
酒造りの要となる「米と水」
原料の米と水をどれだけ大切にしているかを鈴木三河屋は重要視しています。
蔵の気候風土に合わせた米作りや契約栽培。その土地ならではの水。
その二つが融合された「日本酒」
蔵のこだわりを大切にしています。

蔵元とお客様との架け橋

蔵元とのご縁・お客様とのご縁。
このどちらのご縁も大切にし、
蔵元に伝える架け橋となることを使命としています。

品質を大切に

鈴木三河屋では、それぞれのお酒に適した状態を
保つよう、細心の注意を払っています。
商品が弊社に到着後、温度帯の違う貯蔵庫(18℃)や冷蔵庫(5℃,2℃,0℃,-5℃)に保管します。

お客様のご要望に沿える店

日本酒、本格焼酎には、さまざまなタイプがあります。
お客様のご要望を伺いながら、味の好みや季節・料理に合わせたお酒をアドバイス致します。

沿革

明治5年、静岡県西部を流れる天竜川が大氾濫して、大変な被害が出ました。天竜川に程近い、当時の静岡県浜名郡蒲村(現在の浜松市)で染め物屋を営んでいた鈴木増次郎は、将来を考え、息子の勘十を東京に出すことを心に決めました。初代勘十は、尋常小学校を卒業した明治15~16年頃、親戚を尋ね、東京までの道のりを一週間かけて歩き(まだ東海道線も開通していない時代でした)、東京都麹町区隼町(現在の千代田区)、「三河屋」磯貝氏に丁稚奉公に入りました。

その当時の「三河屋」は、各宮家に御用達をしていたようで、かなりの商いのある店であったようです。その後、初代勘十は、明治27、28年の日清戦争に出征し、その後復員。元の店でお礼奉公をしました。そして明治31年2月、暖簾分けで東京都赤坂区溜池町(現在の港区赤坂2丁目3番地)に、念願の酒屋「三河屋勘十商店」を開業。その後、勘十の子供 賢三が、二代目勘十を襲名し、家業を継ぎました。

その当時の店は、逓信省(後の郵政省)の指定業者となり、商いを広げていきましたが、その間には関東大震災と東京大空襲に遭い、大変な時期もありました。その二代目勘十の次男清は、学校卒業後「三河屋勘十商店」で修行を重ね、昭和33年2月東京都港区赤坂福吉町1番地(現在地)で念願の「三河屋鈴木清商店」を創業。昭和41年には法人組織となり、現在の「株式会社 鈴木三河屋」となりました。
私たちは、これからも先祖の想いを伝えるべく更なる進歩を目指します。

先代の言葉

「酒に酔うのは良いが、酒に酔わされるのは言語道断」
「造り手の真心のこもったお酒を残してはいけない。飲めないお酒は注いではいけない」

お酒を飲むにあたっての心得として、私共が大切にしている言葉です。

住所 東京都港区赤坂2丁目18番5号
FAX 03-3588-1188
【営業時間】
月火木金 15:00~19:00
 土  12:00~17:00
 日  12:00~17:00
水・祝日 店休日

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